チェンマイ墜落事故:空軍士官の遺族悲痛、最後の言葉明かす

※この記事のメイン画像はAIによって生成されたイメージです。
この記事の要約
- タイ王国空軍のコーラウィット・ジェンキット少尉が、チェンマイ県での訓練飛行中に航空機墜落事故で殉職しました。
- 事故前、少尉は父親に「これから飛び立つよ」と最後の言葉を伝え、家族は深い悲しみに包まれています。
- 日本の防衛大学校を卒業した優秀なパイロットであり、国家のために職務を全うした彼を、家族は誇りに思っています。
チェンマイでの墜落事故、パイロット2名が殉職
2026年1月29日午前10時50分、チェンマイ県ジョームトーン郡メーソーイ地区のバーン・フワイムアンファンサーイにある森林地帯に、タイ王国空軍のAT-6TH型航空機が墜落し炎上しました。この事故により、戦闘地域における捜索救助訓練中であったサマッチヤー・クンマート少佐(機長)と、コーラウィット・ジェンキット少尉(副操縦士)のパイロット2名が殉職しました。
遺族の悲しみと最後の会話
2026年1月30日、記者はランパーン県ジェーホーム郡ウィチェートナコーン地区のバーン・スワンドークカムにあるルン・チット・クナパン氏(69歳)宅を訪れました。ルン・チット氏は殉職したコーラウィット少尉の叔父にあたります。自宅は深い悲しみに包まれていました。
ルン・チット氏によると、コーラウィット少尉は毎日、飛行任務の前に父親に電話をかける習慣がありました。事故が起きた1月29日の朝も、彼は父親に「これから飛び立つよ」と電話で伝えており、これが彼の最後の言葉となりました。午前10時頃にチェンマイ県での航空機墜落事故とパイロット全員の死亡が報じられ、家族は不安に苛まれました。その後、午前11時になって第41航空団の担当者から、コーラウィット少尉の殉職が正式に連絡されました。この知らせを受け、家族は直ちにチェンマイへ向かいました。
故コーラウィット少尉の経歴と人物像
ルン・チット氏が明かしたところによると、コーラウィット少尉の両親は元ジェーホーム幼稚園の教師でした。彼にはジェートニパット・ジェンキット少佐(37歳、愛称ジェームス)という兄がおり、兄もまた空軍第2航空団所属のパイロットです。コーラウィット少尉は29歳で、愛称はジョーン。タイ王国士官候補生57期、士官学校66期生であり、第41航空団第411飛行隊に所属していました。
幼い頃からルン・チット氏が面倒を見ていたコーラウィット少尉は、学業優秀で性格も良く、明るく楽しい人物だったそうです。ランパーン県の住民であり、ブーンワート学校第116期卒業生で、士官候補生に合格しました。日本の防衛大学校を奨学金で卒業し、兄と同じく空軍パイロットになりました。
ルン・チット氏は、「彼がこれほど早く逝ってしまうとは思いませんでした。まだ若く、将来多くの可能性があるにも関わらず。しかし、彼が国家のために職務を全うしたことを誇りに思います」と述べ、深い悲しみの中に誇りを示しました。
故郷での思い出と葬儀の予定
通常、休暇中は故郷のこの家で過ごしていたコーラウィット少尉。昨年のお正月もこの家で家族と祝っていました。特に予兆となるような出来事はなく、普段通りに会話をしていたといいます。彼の部屋には、まだ服などが置かれたままで、誰も片付けていません。バンコクでの王室による火葬式が終わり次第、両親が遺骨を持ち帰り、故郷の習慣に従って百日法要を行う予定です。遺骨はジェーホーム郡のワット・シー・ルアンに納められることになっています。ルン・チット氏も最後に甥を見送りたいと願っていますが、移動が困難なことと、留守番をする人がいないため、断念せざるを得ないと考えています。
殉職したサマッチヤー・クンマート少佐とコーラウィット・ジェンキット少尉の葬儀および王室による火葬式は、バンコク都バーンケーン区ワット・プラシーマハタート内の空軍火葬場で執り行われます。
日程は以下の通りです。
- 午後4時:献水式
- 午後5時:王室からの湯浴式
- 午後5時30分:通夜の読経
- 1月31日~2月5日 午後6時:通夜の読経
- 2月6日:通夜の読経は休止
- 2月7日午前10時:僧侶による法話
- 午前10時30分:僧侶による仏教の読経
- 午前11時:昼食供養、マーティカー・バンサクン(法要)
- 午後2時:王室による火葬式
引用元:
https://www.khaosod.co.th/around-thailand/news_10119544
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